来年もいろいろ取り組みをしてゆく

計画です。宜しくお願い致します。

 

一部は実験も兼ねて今年の秋から

やっていますが、来年は以下の

スケジュールで取り組みます。

 

毎週第一土曜日

● アースジャズセッション

 

毎週第二土曜日

● フォークブルース オープンマイク

 

毎週第三土曜日

● ジャズストリートセッション

 

毎週第四土曜日

● オープンマイク アカデミー

 

以上を開催してゆきます。

岐阜県関市池田町53

珈琲茶館 夢元亭  でやります。

どれも昼1時から5時までです。

楽しみながら音楽文化を促進させ、

地域活性にも寄与できたらとの

思いもあります。

 

また、名古屋栄の朝日カルチャー

センターでは、1月から9月まで

フォークギター製作倶楽部と題し、

キットかギターを作る講座を

開きます。演奏だけでなく、

製作も体験してギターライフを

さらに豊かにするお手伝いを

させて頂きます。

 

又、ネットショッピングを始めて

10年が経ちまして、この時期を

契機にしてホームページを

リニューアルします。お客様に

とってさらに使いやすいショップを

実現します。

今、私のジャズドラムの先生をしてもらっている黒田和良さんに

ホストを務めてもらってやるジャズセッション。

念願のセッションです。

 

【とき】9/30 土曜日 13:00-16:00

【ところ】岐阜県関市池田町53 喫茶「夢元亭」

【参加費】1000円

【形式】一般のお客さまも入るオープンセッション形式

ホストはプロジャズドラマー黒田和良さん。

中部を中心に活躍されています。

ボーカル、インスト何でもありです。

プロの方と一緒に日ごろの腕試しをしたり、

黒田さんのファンなら又違った黒田さんが

見られるかも・・・

 

 

 

ジャズ音楽の楽しみ方はいろいろあって、

演奏を楽しんでライブをやったり、

セッションしたりすることがありますが、

頑張ってジャズイベントを企画することも

あります。

 

又、ジャズイベント運営に参加して楽しむのも

ありですが、自分の思うような形でやってみたい

と思うこともあります。

 

大変なことなので、タイミングも図りながら

ということになりますが、

ジャズ音楽振興のためにやれたら良いなと。

 

自分の生活の全てが良質の音楽、今はジャズ系に

囲まれて過ごせてゆけることが最大の幸せ

と感じる今日この頃です・・・・

確か中学の頃だったと思いますが、私の音楽に火が付いたのは

井上陽水の影響が大きいと言えます。

影響を受けたもう一組というとサイモン&ガーファンクル。

ギターを本気でやりはじめたのもこの頃で、全てに

優先してギターを弾いていました。

 

まあ、私の音楽ジャンルの遍歴というと

まずは幼稚園のころの童謡、

ソノシートというのをよく聴いていました。

ペラペラなレコードというので、

家にあった蓄音機でおさるのかごや、

汽車ポッポ? なんかを聴きました。

 

そのあとはオルガンで遊んでいた時期があり

中学に入ってフォークに目覚めました。

大学に入ってからはフュージョン系を

やりました。

社会人に入ってからは戦前ブルース、ラグタイム

など、一人でギターでやれるものに移りました。

 

最後はジャズドラムで、10年くらいになりますが、

ますます楽しいという感じですね。

 

 

井上陽水については・・・

 

1948年福岡県生まれ。 中学3年にビートルズに強く影響を受けます。 それ以降音楽に熱中する少年時代を送ることになります。 1969年9月にアンドレカンドレとしてソニーからデビュー。 1972年にはポリドールに移籍し、 1973年、「夢の中へ」のヒットを契機に人気が高まり、 同年の「氷の世界」でミリオンセラーを記録します。井上陽水はどの時期までフォークであったのかは、初期のポリドール時代「断絶」から「氷の世界」の間との見方が妥当と思われます。これらフォークの範疇でも既に飛びぬけた個性があり、その音楽に惹かれた人は大いに違いありません。

 

井上陽水の特徴は、そのサウンド志向の強さにあったのではないでしょうか。1960年代中盤からのフォークとひかくすると、1972年の陽水ファーストアルバム「断絶」でサウンドクリエイトの違いが見て取れます。この時期のフォークソングは歌詞が重要視されていましたが、メッセージを強調し歌の世界観をうまく届けるため、バックの演奏は控えめというのが通例でした。

 

アルバム「断絶」においては星勝の音作りの面白さが引き立っていました。「氷の世界」ではロンドンでの録音で、キティの多賀英典の英断や、高中正義、細野晴臣、深町純、松岡直也、ビートロビンソンなどの参加ミュージシャンの力量が際立っていました。星勝のアレンジと共に、デビュー以来絶妙のミックスを施し続けたミキサー、大野進の貢献も大きいです。サウンド志向になっても陽水の世界観は揺るぎないものです。

 

「氷の世界」の大ヒットがフォーク時代の隆盛を確固たるものにしたと言っても過言ではないでしょう。この時代のあルバムのミリオンセラーは、従来フォークを聴いている層以外にも受け入れられた結果であり、サウンドメイキングの素晴らしさが多くの人の心をとらえたと言えます。

 

「断絶」
1972年
ポリドール

これは彼のファーストアルバムとなります。 マイナーメロディーが半数を占めます。 全体的に凝った音作りをしています。 シャッフル調の「断絶」では派手なドラムのエフェクトや逆回転。 アコギのフィードバックがある「もしも明日が晴れなら」。
間奏にテナーサックスが入る「小さな手」。 最後だけボリュームを上げるベース音の「ハトが泣いている」 突然の鐘の音がある「限りない欲望」 多彩な楽器アンサンブルの「傘がない」

 

・ あこがれ
・ 断絶
・ もしも明日が晴れなら
・ 感謝知らずの女
・ 小さな手
・ 人生が二度あれば
・ 愛は君
・ ハトが泣いている
・ 白い船
・ 限りない欲望
・ 家へお帰り
・ 傘がない

 

 

「陽水ライヴ もどり道」

1973年

ポリドール

1973年4月14日、東京厚生年金小ホールでのライブを収録。A面にあたる1〜7は陽水と安田博美よるアコースティックギター、ブルースハープのみの演奏です。カッティングの切れ味が;よく、3の曲では陽水のギターに圧倒されます。B面にあたる8以降はバンドのサウンド。声の良さや透明感が際立ち、1980年代以降のようなクセがなく、ストレート。10のボーカルの抜けの良さが素晴らしいです。

 

・ 夏祭り

・ いつのまにか少女は

・ 紙飛行機

・ あかずの踏切り

・ たいくつ

・ 人生が二度あれば

・ 帰郷

・ 感謝しらずの女

・ 愛は君

・ 東へ西へ

・ 家へお帰り

・ 傘がない

・ 星

・ 夢の中へ

 

 

「氷の世界」

ポリドール

1973年

名盤と言えるアルバムであり大ベストセラー。アップテンポからバラードまでどの曲にも引き付けるものがあります。前作「ライブ もどり道」収録時は3拍子の暗めの曲だった1がロック調にアレンジされ、忌野清志郎との共作となる3、女性コーラス・ブラス・キーボードが入ったファンキーサウンドで、ブルースハープの絶妙な絡み具合が素晴らしい5。ほのぼのとした11など変幻自在のサウンドとなっています。シングルヒットしたマイナー調フォーク8にメロトロンを使用しています。叙情的な詞と絶望的な感情を併せ持ち、全体に深みがある出来になっています。音質も良く、奥行きの深さと各楽器の粒だった音像もこのアルバムの素晴らしさを引き立てています。

 

・ あかずの踏切

・ はじまり

・ 帰れない二人

・ チエちゃん

・ 氷の世界

・ 白い一日

・ 自己嫌悪

・ 心もよう

・ 待ちぼうけ

・ 桜三月散歩道

・ Fun

・ 小春おばさん

・ おやすみ

 

 

「二色の独楽」

1974年

ポリドール

 

・  傘がない-イントロダクションー
・  夕立
・  太陽の町
・  Happy Birthday
・  ゼンマイじかけのカブト虫
・  御免
・  月が笑う
・  二色の独楽
・ 君と僕のブルース
・  野イチゴ
・  ロンドン急行
・  旅から旅
・  眠りにさそわれ
・ 太陽の町

好きで参加しているジャズセッションですが、昨日は

2人のギターデュオや3人のボーカルなども飛び出しました。

ギターデュオは共にとてもお世話になっているギタリストですが、

何か感ずるものがあったのか、今回はじめてぶっつけ本番でデュオが

実現しました。ある意味ライバル同士でもある二人が一つになって実現

したデュオに非常に感銘しました。

色々なことを乗り越えて音楽を楽しむために一つになる、

これはセッションの愉しみ方としては最上級といえます。

 

参加者が多い場合は多くの人に演奏して貰えるように

出来る限り大人数で演奏する傾向がありますが、

昨日は少人数でのライブのような雰囲気も時々あり、

いつもの感じに少し変化があったセッションでした

 

 

 

さだまさしが「暗い、女々しい」と言われるようになったのは1980年。 ある有名人がラジオ番組で「フォークは暗い」「フォークを聴く奴は女々しい」と言い波紋を呼びます。 フォークと言うジャンル自体が暗いイメージで見られている原因の一つとなっています。 1972年、大学を中退して故郷の長崎に戻ります。 この時、高校時代のバンド仲間「吉田正美」と共にグレープが結成されました。


地元で初コンサートを開催して間もなく、ワーナーのディレクター川又明博に声を掛けられ上京。 1973年にシングル「雪の朝」でデビューとなります。 さだまさしの澄んだボーカルに吉田正美が繊細なコーラスを乗せるスタイルが特徴。 バイオリンの名手でもあるさだが作る旋律と、吉田のジャズギターから繰り出されるフレーズが独特の緊張感を生みます。彼らが最も評価されたのは、音よりも言葉で、リスナーからは暗さが求められていたとも言えます。

 

セカンドシングル「精霊流し」が日本レコード大賞で作詞賞を獲得。 雰囲気を明るくした1975年のシングル「朝刊」は不発に終わります。 一方、暗さが全面に出た「無縁坂」がヒットします。 これが翌年のコンビ解散のきっかけとなります。吉田正美は新グループの「茶坊主」とソロで1枚づつアルバムを発表した後、ディレクターに転身します。 又、1991年にレーズン名義で再結成をするなど、節目節目でさだまさしをサポートしています。

 

さだは元赤い鳥の渡辺俊幸をパートナーとして、アルバム「帰去来」「線香花火」でそろデビューします。 「世の中が明るい歌なら、私はあえて陰湿に、陰気な唄を歌ってもいいと思う」とうそぶきながら現在に至ります。 「まほろば」など日本の純文学や古典文学を思わせる重厚な作品があります。 その一方で、「雨やどり」などの元落研らしいユーモラスもあります。 そして秀逸なサゲ、ストーリーテリングの巧みさにも耳を奪われます。


又、不意を突かれる「償い」などの痛烈さに胸が痛んだりと、ただ暗いだけではない彼の魅力があります。 グレープ時代のセルフカバーを含むオールタイムベスト「天晴」の大ヒットで着実に新世代を取り込んでいます。

 

 

 


グレープ
「わすれもの」
ワーナー/エクストラ 1974年

 

・ 精霊流し
・ もしかしたら君は空を飛ぶんじゃないかな?
・ 紫陽花の詩
・ ひとり占い
・ 蝉時雨
・ 春への幻想
・ 雪の朝
・ 魔法使いとフリージア
・ 告悔
・ 悲しみの白い影
・ しおれた花
・ あこがれ

 

 

グレープ
「せせらぎ」
ワーナー/エレクトラ 1975年

 

・ ほおずき
・ 殺風景
・ 委ねられた悲しみ
・ 女郎花
・ 残像
・ 交響楽
・ ラウドネス
・ 絆
・ 風邪
・ 恋人擬
・ 掌
・ 追伸

 

 

グレープ
「コミュニケーション」
ワーナー/エレクトラ 1975年

 

・ 朝刊
・ 19才
・ 悲しきマリオネット
・ 絵踊り
・ かなしいうた
・ 無縁坂
・ 縁切寺
・ 雲にらくがき
・ 風と空
・ 笑顔同封
・ フレディもしくは三教街

 

 

グレープ
「グレープライブ三年坂」
ワーナー/エレクトラ 1976年

 

disc1
・ オープニング〜精霊流し
・ 無縁坂
・ 悲しみの白い影
・ 殺風景
・ 風と空
・ 朝刊
・ ほおずき
・ 縁切寺
・ 笑顔同封
・ 追伸

 

disc2
・ 島原の子守歌
・ 雪の朝
・ 掌
・ パンコ
・ 絵踊り
・ 第一印象
・ さよならコンサート
・ 僕にまかせてください
・ フレディもしくは三教街
・ あこがれ
・ 精霊流し

 

 

 

この度、新たに株式会社として運営してゆくこととなりました。

これによりお客さまへのサービスをさらに高めてゆく所存で

ございます。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます

 

株式会社レミユ  代表取締役 猿渡通裕

 

 

私達は時代の変化をとらえ、人類の夢と未来に貢献する創造集団です。

音楽文化を深化させ、躍動感ある社会を目指します。

 

【企業理念】

広く音楽文化に貢献し、夢と未来の繁栄社会を実現する

 

【経営理念】

もっとオモシロク

もっと前進

もっとワクワク

もっと感動

 


■ ネットショップ事業方針

< Dream >
お客さまの演奏環境を向上させる

< Vision >
ギターライフのベストサポーター

< Purpose >  
音楽家のご要望に応じ支援する

< Mission >  
理念を実現するプロを5人輩出

 

 

■ ギターリペア事業方針

< Dream >   
楽器修理を通して音楽文化を下支えする

 

< Vision >   
リペア業として一流の信頼を獲得する

< Purpose >  
お客さま満足度を100% + αにする

< Mission >  
理念を実現するプロを5人輩出

 

 

行動指針

" PERSONALITY & ACTION & SKILL ! "

 

【パーソナリティ】

全員で優良な企業体質 ( 人格 ) を維持
一人一人の人格が企業の体質になる

1 誠実
1 自分との約束を守ろう
2 気配りし思いやろう
3 良心に従って行動しよう
4 共に助け合い成長しよう

2 愛情
1 理解してから支援しよう
2 従業員はファミリーと考えよう
3 皆で幸せになろう

3 感動
1 お客さまを感動させよう
2 期待を上回ることをしよう
3 お客さまの喜びを目標としよう

4 聡明
1 柔軟に考え理解しよう
2 集中して行おう
3 変化を楽しもう
4 正しく判断しよう

 

【アクション】

優良なビジネスマンになろう。
「自分のため」=「社会のため」

1 挨拶を仕事に優先しよう
2 迷ったらすぐ相談しよう
3 プラス思考をしよう
4 月に1冊本を読もう
5 体調・心調を整えよう
6 アイデアを出そう
7 量をこなして質を上げよう
8 すぐ実行しよう
9 積極的に取り組もう
10 笑顔で明るくふるまおう
11 得意なことを伸ばそう
12 マニュアルを作ろう
13 失敗を成功につなげよう
14 コミュニケーションを良くしよう
15 教え好きになろう

 

【スキル】

基本はマニュアルに基づき実施

 

 

ドラムをやっていて、いつも気になるのが「演奏の時スティックなどをどこに置くか」という問題です。多用な表現をするためにスティックやブラシに持ち替えるケースが当たり前ですが、すぐに持ち替えることはなかなか至難の業です。今回、このような台があることを知りまして試しに購入しました。スネアドラムのフープに引っ掛けるタイプです。スネアを叩くときに少し邪魔になるかもしれませんが、慣れて上手くやれるようになれば、持ち替えるストレスが減ります。

 

 

 

フォークブーム初期の頃のインディレーベル「URC]。

永続はむつかしくとも、その時代には意味があり・・・

歴史を感じる思いです・・・

 

URCは日本で初めてのインデペンデント・レーベルとして1969年の冬に発足しました。URCとはアングラ・レコード・クラブの略です。最初は会費を募りその会員にレコードを配布するというスタイルで始まりました。母体となったのは、秦政明が運営する高石事務所。後に音楽者舎と改名します。秦は歌声運動を皮切りとして音楽にのめり込みます。大学卒業後はクラシックのコンサートを主催する会社に入り、その後独立して会社を興します。その名はアートプロモーション。高石事務所は高石友也のマネージメントをするための会社でした。のちにはフォーククルセダーズや岡林信康、ジャックスなども所属しました。

 

その後、会員制から一般販売へと変わってゆきます。会員配布の第一号となったのが、高田渡と五つの赤い風船のスプリットアルバム、ミューテーションファクトリー「イムジン河」、トリンコーンソン「坊や大きくならないで」のシングル2枚でした。しかしフォークル版「イムジン河」は発売中止となってしまいます。ならばという形で出したのがミューテーションファクトリーでした。

URCレコードが独立レーベルに拘ったのには訳があります。当時のレコード会社は日本レコード協会に加盟していることが原則となっていました。この協会にはレコード制作基準倫理委員会が設けられていました。発売前には内容のチェックが行われていました。思想的であったり猥雑なものは公序良俗を乱すという理由で規制されました。この規制の中には、表現の自由をおびやかすものまで含まれてしまいます。これらの規制から歌の自由と取り戻すのが、URCレコードの目的の一つでした。「イムジン河」にしろ、高田渡「自衛隊に入ろう」、岡林信康「くそくらえ節」にしろ、既存のレコード会社ではまず発売が無理でした。他にも春歌のアルバムを出したり、新宿西口広場でのフォークゲリラの唄声をドキュメントで、これらもインディでしか成し得なかったはずです。

 

この何物にも束縛されない自由な雰囲気が若者には受けました。若いディレクターを使い、商業主義に捕らわれないレコードを作ります。まさに理想郷であり、このパラダイスには岡林信康、五つの赤い風船、高田渡、加川良、友部正人、ザ・ディラン2、中川五郎、なぎらけんいち、斉藤哲夫、はっぴいえんど、三上寛などの若き才能が集まってきました。1969年からは一般発売がはじまります。岡林信康のデビューアルバム「わたしを断罪せよ」と、五つの赤い風船「おとぎばやし」がリリース。取次流通を通さず全国130ほどのレコード店や楽器店と直接契約を結びました。現在行われているインディーズの配給方法とほぼ同じですが、当時としては画期的でした。こういった販売方法だけでなく、さまざまな方法も取り入れていました。自社で版権や原盤権を管理、音楽出版社(アート音楽出版)を持ちフォークのミニコミ誌を発行、さらに音楽舎を通してコンサートの企画も行いました。これらの総体が秦政明のURCでした。

 

1974年以降は大手レコード会社がフォーク専門のレーベルを発足します。そして、そこに看板アーティストたちが移籍してしまいます。しかし、URCは独立系レーベルならではの本領を発揮してゆきます。今度は関西ローカルで活動していたシンガーたちを発掘してゆきます。その中から古川豪、ひがしのひとし、宮里ひろし、中島光一などが飛び立ってゆきます。その姿もまたURCレコードらしく映りました。

ジャズドラムの向上のため、DVDを購入しました。

テクニックというより、体の使い方でパワーや音質

改善に役立つかと思いました。

役に立ったポイントは

●リバウンドを良くして音質を改善する「フリーグリップ」

●手の動きは鎖骨からスタートすることを意識すること

この2点です。

早速「フリーグリップ」にトライしています。

偶然ですが、ドラムの先生も同様のことを言われています。

 

 

 

次はピアノトリオのCD100選です。

シンプルですが好きですこしずつ

集めています。