January
常識に執着して危険あり、非常識も時には有用

February
勝負を忘れて一心天に通じなければ、妙運自ら開けん

March
誰もその人自身の未来の建築家である。用意周到して大吉

April
未来を思いわずらわず、現在に生くる者に吉運来る

May
兎を見てから鷹を放つべし。空想予想に軽挙するな

June
乱れし処には留まらず、善処に行きて安居せよ

July
太平の相談は必ず姿勢を正せ。姿勢の崩れは運の崩れ

August
赤信号長くして心憤然。心を柔らかくして万事流れに随うべし

September
自分の影におびえたり、自分の足跡におそれず、堂々かっ歩して大吉

October
飲酒は歓楽すればそれでよい。大酒して泥酔すれば災い来る

November
大きな功績は人にそしられやすい。泰然たるべし

December
向かうところ妨害ありがちなるも、出すぎずば可ならんか
2013年に結成40周年を祝ったアルフィー。エレキギター+ベース+アコースティックギターという編成にフォークトリオの面影を残したまま、日本最長寿のロックバンドになった彼らは「日本ロックのひとつの象徴」と言えます。ここでいうロックとは、エレキブームやGSブームに影響を与えたサーフミュージックやロックンロールではなく、1960年代後半に後期ビートルズやウッドストック勢によってもたらされた「ニューサウンド」以降のサウンドです。フォークでデビューした後に音楽的充実を図ってメンバーを加え、ロックバンド化していったグループは多いです。例えばRCサクセション(アコギ+エレキ+ベース)、かぐや姫(アコギ2+ベース)、アリス(アコギ2+ドラム)、オフコース(アコギ+アコギ&キーボード)、チャゲ&飛鳥(アコギ2)などです。

欧米のキャミオやスティーリーダンがセルフコンティンドグループからメンバーが抜けていった「縮小型」に対し、彼らはコアメンバーにサポートを足していった「拡張型」ですが、アマチュア時代はロックバンドをやっていたケースが多いです。フォークのほうがデビューしやすかったから転向し、地位を確立すると共にロックに回帰していったようにも見えます。

明治以降の日本文化は基本的に「和魂洋才」の歴史です。欧米から次々にやってくる新しい入れ物に日本の心をいかにはめ込み土着化させるか。皆が「はっぴいえんど」ほどスマートだったり、キャロルほど横紙破りだったわけではありません。既に日本的感情のビークルとして定着していたフォークにロックの圧倒的な拡張性とパワーを半ば強引に接ぎ木され、少し不格好で日本大衆が懐かしさを感じます。その姿がアルフィーやアリスの音楽とグループ編成に刻印されています。Jポップというものが彼らの築いた礎の上にガラパゴス的に発展してきたのは確かです。


「アリス 限りなき挑戦」
東芝
エキスプレス
1979年

オーバーチュアーチャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番
Wild Wind -野生の疾風
つむじ風
逃亡者/Young Man
夢去りし街角
おまえ
帰り道
明日への讃歌
冬の稲妻/君のひとみは10000ボルト/今はもう誰も/君のひとみは10000ボルト/涙の誓い
未青年
秋止符

[Disc2]
忘れな詩
あなたがいるだけで
陽はまた昇る
遠くで汽笛を聞きながら
チャンピオン
帰らざる日々
美しき絆ーHand in Hand




「チャゲ&飛鳥 熱風」
ワーナー
エレクトラ
1981年

熱風
水面の静
万里の河
この恋おいらのからまわり
花暦
悲炎

あばんぎゃるど

草原の静
荒野
お・や・す・み
幻夜





「アルフィー 青春の記憶」
ビクター
1975年

青春の記憶
真夏の夢
心の扉
危険なリンゴ
一年目の春
卒業
夏しぐれ
ロマンス・レイン
ひとかけらの純情
水いらずの午後
白いハイウェイ
ナイト・アローン
府中捕物控
明日からよその人
RCAブルースの古典
BMG BVCP8733-4

1971年、日本初の本格的戦前ブルースアンソロジーとして、LP3枚組で登場しました。この古典的アルバムに更に7曲を加えた2枚組CDです。曲数が増え、なおかつ20年以上前のLPボックスより安価という、信じられないようなCDの復活です。大手レコード会社の中でいち早く南部への出張録音を始めたビクターと1934年にスタートした、その傘下の廉価レーベル「ブルーバード」を原盤とした1927年から1946年の49曲が入っています。ディスク1の1〜8は初期のカントリーブルース、9〜17はメンフィスブルース、18〜25がジャグバンド。ディスク2の1〜7は1930年代のミシシッピブルース、8〜15はピアノブルース、16〜24はシティブルースと括られています。戦前ブルースの全てがわかるちう訳ではありませんが、単一レーベルを音源とした正規盤として最高の充実度です。戦前のブルースの流れを考えながら聴いても良いし、単純に1曲1曲楽しむだけでも良いでしょう。

ここにはブルース音楽の様々なスタイル、様々な味わいが詰まっています。リズミカルで暖かいようで荒涼としたトミージョンスン、ほのぼのとしたジムジャクスン、賑やかなジャグバンド群、やるせなさの詰まったリロイ・カー、バンドブルースの味わいのサニーボーイウイリアムスン1世など。カントリーブルースの素朴さを敬遠する方には、ブッカホワイトの痛烈なリズムの1-7がカウンターパンチに。ハウンドドックテイラーのようなアナーキーが好きという方は、トミーマクレナンやロバートペットウェイを聴いて貰いたいです。形は違っても同質のパワーがみなぎっているのがわかります。楽しみ方は様々でブルースに少しでも興味のある人にはかっこうの入り口になるでしょう。

(BLUES CD GUIDE BOOK)

ディスク:1
1. ビッグ・ロード・ブルース (初期のカントリー・ブルース)
2. キャンド・ヒート・ブルース (初期のカントリー・ブルース)
3. トラブル・ハーテッド・ブルース (初期のカントリー・ブルース)
4. ダーク・ナイト・ブルース (初期のカントリー・ブルース)
5. ラヴィング・トーキング・ブルース (初期のカントリー・ブルース)
6. ドレイマン・ブルース (初期のカントリー・ブルース)
7. シー・ロールズ・イット・スロー (初期のカントリー・ブルース)
8. パナマ・リミテッド (初期のカントリー・ブルース)
9. アイム・ワイルド・アバウト・マイ・ラヴィング (メンフィス・ブルース)
10. ドライ・ランド・ブルース (メンフィス・ブルース)
11. テイント・ノーバディズ・ビジネス (メンフィス・ブルース)
12. フランク・ストークスの夢 (メンフィス・ブルース)
13. ザ・ガール・アイ・ラヴ (メンフィス・ブルース)
14. プア・ジョン・ブルース (メンフィス・ブルース)
15. ローヤー・クラーク・ブルース (メンフィス・ブルース)
16. ア・ハード・ピル・トゥ・スウォロー (メンフィス・ブルース)
17. ドント・ウォント・ノー・ウーマン (メンフィス・ブルース)
18. メンフィス・ジャグ・ブルース (ジャグ・バンド)
19. ゴーイング・バック・トゥ・メンフィス (ジャグ・バンド)
20. ジャグ・バンド・ワルツ (ジャグ・バンド)
21. ヴァイオラ・リー・ブルース (ジャグ・バンド)
22. ゴーイング・トゥ・ジャーマニー (ジャグ・バンド)
23. ウォーク・ライト・イン (ジャグ・バンド)
24. ザ・スパズム (ジャグ・バンド)
25. ゴナ・ヒット・ザ・ハイウェイ (ジャグ・バンド)

ディスク:2
1. ウィスキー・ヘッド・ウーマン (30年代のミシシッピ・ブルース)
2. ディーズ・マイ・ブルース (30年代のミシシッピ・ブルース)
3. ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー (30年代のミシシッピ・ブルース)
4. ハイウェイ49 (30年代のミシシッピ・ブルース)
5. ピーチ・オーチャード・ママ (30年代のミシシッピ・ブルース)
6. キャットフィッシュ・ブルース (30年代のミシシッピ・ブルース)
7. テイク・ア・リトル・ウォーク・ウィズ・ミー (30年代のミシシッピ・ブルース)
8. ロックス・イン・マイ・ベッド (ピアノ・ブルース)
9. シックス・コールド・フィート・イン・ザ・グラウンド (ピアノ・ブルース)
10. デヴィルズ・サン・イン・ロウ (ピアノ・ブルース)
11. ピート・ウィートストロー (ピアノ・ブルース)
12. ヴィックスバーグ・ブルース・パート 3 (ピアノ・ブルース)
13. ワリード・ライフ・ブルース (ピアノ・ブルース)
14. デトロイト・ジャンプ (ピアノ・ブルース)
15. ハード・ワーキング・マン・ブルース (ピアノ・ブルース)
16. フレンドレス・ブルース (シティ・ブルース)
17. サザン・ブルース (シティ・ブルース)
18. キングフィッシュ・ブルース (シティ・ブルース)
19. タフ・ラック (シティ・ブルース)
20. グッド・モーニング・スクールガール (シティ・ブルース)
21. エレヴェイター・ウーマン (シティ・ブルース)
22. アーリー・イン・ザ・モーニング (シティ・ブルース)
23. キー・トゥ・ザ・ハイウェイ (シティ・ブルース)
24. ザッツ・オール・ライト (シティ・ブルース)
「ブルーバード栄光の遺産〜コールマンホーキンス」
(Bluebird BMGビクター BVCJ-5122)

1934年にフレッチャー・ヘンダーソン楽団を退団したホーキンスはヨーロッパでソロ活動を開始しました。帰国は1939年7月で10月には自己のオーケストラを率いて名演「身も心も」他を録音。テナーの第一人者としての貫禄を改めて示しました。彼の楽団は全米各地で引っ張りだこの人気となり、彼の演奏そのものも絶頂期を迎えますが、バップの台頭と共に意欲的にそれと取り組み、ベテランの気概を見せています。「身も心も」のセッションや翌年のオールスター・オクテットの録音、それにFナバロ、JJジョンソン、Mローチらとの1947年の共演等を含む同名LPは名盤として名高いですが、CD化に際しては1946年録音1曲を省略、1929年録音2曲、1956年録音6曲を追加しています。

1. ハロー・ローラ
2. ワン・アワー
3. ミート・ドクター・フー
4. ファイン・ディナー
5. シーズ・ファニー・ザット・ウェイ
6. 身も心も
7. 夜ともなれば
8. アラビアの酋長
9. 私の青空
10. バウンシング・ウィズ・ビーン
11. パリの四月
12. ハウ・ストレンジ
13. ハーフ・ステップ・ダウン・プリーズ
14. エンジェル・フェイス
15. ジャンピン・フォー・ジェーン
16. アイ・ラブ・ユー
17. ゼア・ウィル・ネバー・ビー・アナザー・ユー
18. リトル・ガール・ブルー
19. ディナー・フォー・ワン
20. ヒズ・ベリー・オウン・ブルース
21. ビーン・ストークス・アゲイン
22. ハブ・ユー・メット・ミス・ジョーンズ
23. エッセンス・オブ・ユー
▼JAN.      餓鬼の目には水見えずという。あまり欲深くして前途誤りやすし。  
▼FEB.      愚者と死者は決して意見を変えない。他人の意見を聞き、善処して吉転。
▼MAR.      腹を立てれば、百害ありて一利なし。要注意。
▼APR.   困窮の中から遠大な望みも生まれる。困難を恐れるな。
▼MAY.   人を待つに時間遅れることあるも、寛大にして後吉事あり。
▼JUN.      事業は慎重に、費用は節約して、大功をあげるもの。
▼JUL.      社会では逆するより順ずることを学んで成功する。
▼AUG.      功労ありても自慢せず、罪過ありても後悔すれば、必ず発展する。
▼SEP.      思いも寄らぬ得を受けた時は、人に分け与えて、福いよいよ増す。
▼OCT.      徳には一歩進み、名誉には一歩退きて、吉運続く。
▼NOV.      控えめの人には、よき子孫生まれ来て、晩年幸を受ける。
▼DEC.      鼠には鼠の度がある。人には人の礼儀あり、礼儀を守って開運。
「奇妙な果実」 ビリーホリデイ
Commodeore
キングレコード
240E-6817

カウントベイシー楽団、アーティ・ショー楽団を経て1938年11月に独立したビリーは、翌1939年1月からニューヨークのカフェソサエティに出演するようになりました。この店のオーナーの許にリュイス・アレンが携えてきたのが「奇妙な果実」で、ビリーは暫しためらった後、歌うことを承諾します。ビリーの知己ミルトン・ゲイブラーが自身のコモドア・レーベルに吹き込む事を勧め、1939年4月にそのセッションが持たれました。バックはクラブで円満に共演中だったフランキーニュートン楽団。ビリーは1944年3,4月にもエディ・ヘイウッド楽団をバックにコモドアに録音しましたが、「奇妙な果実」はその3セッションを収録したものです。全盛期のビリーの凄さを伝える超名盤です。

奇妙な果実
イエスタデイ
ファインアンドメロー
ブルースを歌おう
ハウアムアイ トウノウ
マイオールドフレイム
アイル ゲットバイ
水辺にたたずみ
アイルビー シーイングユー
アイムユアーズ
エンブレイサブル ユー
時の過行くまま
シーズファニー ザットウェイ
恋人よ我に帰れ
アイラブ マイマン
明るい表通りで

ビリーホリデー(vo)他
1939年4月20日〜1944年4月8日録音
「アイク・ターナー」Ike Turner ( 1931 - 2007)

本名は、アイズィアー・ラスター・ターナー・ジュニア。ミシシッピ州クラークスデイルに生まれます。10代の頃、地元ラジオ局WROXでDJをするようになり、ここでロバート・ナイトホークらブルースマンと出会う幸運に恵まれます。その過程で、パイントップ・パーキンズに出会い、彼から直接ピアノを師事。1940年代後半には、自己のバンド、キングズ・オブ・リズムを結成し活動するようになります。

1951年3月、アイクとキングズ・オヴ・リズムはジャッキー・ブレンストンを歌手に立て、メンフィスのサン・スタジオで、「ロケット88」("Rocket 88")のレコーディングを行います。そのマスターは、シカゴのチェス・レコードからジャッキー・ブレンストン&ヒズ・デルタ・キャッツの名義でリリースされ、R&Bチャート1位の大ヒットを記録しました。また、アイクはレコード会社のスカウトマンとしても活躍。自らの一ファンであるアンナ・メイ・ブロック (後に芸名ティナ・ターナーを名乗るようになります) が彼のバンドで歌いたいと言い始めた時、初めは断りましたが、結局は彼女の懇願に負けて歌わせました。二人は1960年に結婚し、アイク&ティナ・ターナー・レヴュー名義で活動するようになりました。

アイク&ティナ・ターナーは、1960年代から70年代にかけて数々のヒットを飛ばす人気デュオとして頭角を現します。1966年から1969年の間には、ローリング・ストーンズのアメリカ公演の前座も務めています。1970年12月には初来日も果たし、東京・赤坂のライブハウス、ムゲンで計12回の公演を行いました。しかしながら、1978年に破婚を迎えたことにより、デュオも解消します。ティナは1986年出版の自伝「I, Tina」 (1993年に「ティナ」として映画化) の中で、アイクの家庭内暴力を暴露しました。これに対して、彼は当初それを否定していたものの、2001年の自伝「Taking Back My Name」の中で事実上自らの暴力を認めています。
彼はかつて重度のコカイン常用者だったこともあり、1980年代初頭には、薬物犯罪者としてカリフォルニア州立刑務所で服役しました。

2003年には、日比谷野音等で催されたジャパン・ブルース・カーニバル出演のために来日したにもかかわらず、過去のコカイン不法所持による逮捕歴が問題とされ、入国許可が下りずに帰国しました。但し、問題とされた逮捕歴は1989年のことであり、1994年の来日公演は問題なく行われていることからも、疑問の残る措置だったと言わざるを得ません。2003年の来日公演は、アイク抜きのキングス・オブ・リズムがステージに立ち、切り抜けています。アイク・ターナーは、1991年、アイク&ティナ・ターナー名義でロックの殿堂入りを果たしています。2007年12月12日、アイクはカリフォルニア州サンディエゴ郊外サンマーコスの自宅で、76歳で亡くなります。死因は公表されていません。
           
January......独りの人生、一度の人生。大切に今日を過ごす。
February.....譲ればお互いが楽であり押しのければお互いが苦となる。
March........道徳をもって教育すれば人は自然に服する。教育に吉。
April........一銭を笑う物は一銭に泣く。金銭小なりといえども悔るべからず。
May..........情事を満たせば色欲も失わせる。男女の関係に智恵をもて。
June.........忍耐によって希望が達成される。忍んで吉を得る。
July.........辛抱強く待っていれば幸運の女神はやってくる。
August.......火は親しんでもなれてはいかず、水は愛しても溺れてはいかぬ。人事交友もかくの如し。
September....天の道も人の道も極まれば元へ返るもの。窮すれば通ず。
October......多忙な日々である。物事着々と進まず、色情に悩み易し。
November.....根が地中で固く連なっている。さしたる困難にくじけぬ。
December.....摑んだと思えば逃げていく、放したと思えば来る。人生の妙。     
松山千春

1975年にかぐや姫、1976年にグレープと抒情派フォークのトップグループが相次いで解散、ソロに転向するが時を同じくして北海道から登場してきた新星が松山千春でした。ニューミュージックの台頭もあり下火になり、アンダーグラウンドに潜り始めた関西フォーク勢や、サウンド的に路線変更するフォーク系アーティストが増えます。フォークは日本的情緒に訴えかける軟弱な音楽という見方が定着しはじめていた中で、松山の登場は衝撃的でありました。

彼は北海道足寄町出身。岡林信康や加川良、下田逸郎らに強い影響を受け、1975年には「全国フォーク音楽祭」北海道大会に出場。落選こそしますが、STVラジオのディレクター竹田健二氏に見出されます。1976年には同曲の「サンデージャンボスペシャル」に「千春のひとりうた」コーナーを与えられます。ここで松山は毎週新曲を書いてギター弾き語りで発表することになります。「旅立ち」「足寄より」「かざぐるま」など初期の代表作は、最初にこのコーナーで発表されています。この番組により北海道での松山の知名度が上がってゆきます。1977年1月25日「旅立ち」でレコードデビューを果たした半年後の8月に竹田氏が急逝。失意の中、1977年10月には「オールナイトニッポン」水曜2部のパーソナリティに起用され、全国区への足がかりをつかみます。1978年「季節の中で」がチャート1位の大ヒットを記録します。スケールの大きな作風と堂々とした歌い方、抒情派フォークにありがちな日本的湿度感をかんじさせない音楽性は、フォークの新たな展開を予感させました。

この頃、フォーク嫌いで知られたタモリでさえ「千春は別」とラジオで語っていたほどです。同じ水曜オールナイトの関係者ということもあったとは思われます。松山はこの時期のフォーク勢でも別格の大物感がありました。同年「雨の嵐山」で登場する長淵剛は南の果ての鹿児島からやってきたフォークシンガーでした。松山の大陸的な抒情性と長渕の情緒的な作風の中に潜む武骨さは1970年代後半ならではの新たなフォークの在り方と言えます。以降も「長い夜」「大空と大地の中で」「恋」などがヒットします。メロウなラブソングやAORサウンドなどを展開しつつも、フォークシンガーとしてブレることなく第1線で活躍しています。

「君のために作った歌」
キャニオン
F-LABEL
1977年

かざぐるま
大空と大地の中で
旅立ち
オホーツクの海
君のために作った歌
足寄より
銀の雨
この道より道廻り道
ためらい
今日限り
初恋
おやすみ


「こんな夜は」
キャニオン
F-LABEL
1978年

雨あがりの街
南風にのせて
私を見つめて
走れ夜汽車
こんな夜は
君が好きさ
貴方だけ
帰ろう
君はそばに
父さん



「空を飛ぶ鳥のように野を駆ける風のように」
キャニオン
F-LABEL
1979年


酔っています
かわいい女はかわいいままで
おいで僕のそばに
失くした心
卒業
帰郷
あたい
空を飛ぶ鳥のように野を駆ける風のように
生きがい


「時代をこえて」
キャニオン
NEWS
1981年


この部屋
とだえた言葉
ダーリン
時代をこえて
浜辺
夢をのせて

限りある命
星をかぞえて

日本のフォーク完全読本より
町内の春祭りでの準備風景です。
毎年、花みこしを組み立てます。