「奇妙な果実」 ビリーホリデイ
Commodeore
キングレコード
240E-6817

カウントベイシー楽団、アーティ・ショー楽団を経て1938年11月に独立したビリーは、翌1939年1月からニューヨークのカフェソサエティに出演するようになりました。この店のオーナーの許にリュイス・アレンが携えてきたのが「奇妙な果実」で、ビリーは暫しためらった後、歌うことを承諾します。ビリーの知己ミルトン・ゲイブラーが自身のコモドア・レーベルに吹き込む事を勧め、1939年4月にそのセッションが持たれました。バックはクラブで円満に共演中だったフランキーニュートン楽団。ビリーは1944年3,4月にもエディ・ヘイウッド楽団をバックにコモドアに録音しましたが、「奇妙な果実」はその3セッションを収録したものです。全盛期のビリーの凄さを伝える超名盤です。

奇妙な果実
イエスタデイ
ファインアンドメロー
ブルースを歌おう
ハウアムアイ トウノウ
マイオールドフレイム
アイル ゲットバイ
水辺にたたずみ
アイルビー シーイングユー
アイムユアーズ
エンブレイサブル ユー
時の過行くまま
シーズファニー ザットウェイ
恋人よ我に帰れ
アイラブ マイマン
明るい表通りで

ビリーホリデー(vo)他
1939年4月20日〜1944年4月8日録音
「アイク・ターナー」Ike Turner ( 1931 - 2007)

本名は、アイズィアー・ラスター・ターナー・ジュニア。ミシシッピ州クラークスデイルに生まれます。10代の頃、地元ラジオ局WROXでDJをするようになり、ここでロバート・ナイトホークらブルースマンと出会う幸運に恵まれます。その過程で、パイントップ・パーキンズに出会い、彼から直接ピアノを師事。1940年代後半には、自己のバンド、キングズ・オブ・リズムを結成し活動するようになります。

1951年3月、アイクとキングズ・オヴ・リズムはジャッキー・ブレンストンを歌手に立て、メンフィスのサン・スタジオで、「ロケット88」("Rocket 88")のレコーディングを行います。そのマスターは、シカゴのチェス・レコードからジャッキー・ブレンストン&ヒズ・デルタ・キャッツの名義でリリースされ、R&Bチャート1位の大ヒットを記録しました。また、アイクはレコード会社のスカウトマンとしても活躍。自らの一ファンであるアンナ・メイ・ブロック (後に芸名ティナ・ターナーを名乗るようになります) が彼のバンドで歌いたいと言い始めた時、初めは断りましたが、結局は彼女の懇願に負けて歌わせました。二人は1960年に結婚し、アイク&ティナ・ターナー・レヴュー名義で活動するようになりました。

アイク&ティナ・ターナーは、1960年代から70年代にかけて数々のヒットを飛ばす人気デュオとして頭角を現します。1966年から1969年の間には、ローリング・ストーンズのアメリカ公演の前座も務めています。1970年12月には初来日も果たし、東京・赤坂のライブハウス、ムゲンで計12回の公演を行いました。しかしながら、1978年に破婚を迎えたことにより、デュオも解消します。ティナは1986年出版の自伝「I, Tina」 (1993年に「ティナ」として映画化) の中で、アイクの家庭内暴力を暴露しました。これに対して、彼は当初それを否定していたものの、2001年の自伝「Taking Back My Name」の中で事実上自らの暴力を認めています。
彼はかつて重度のコカイン常用者だったこともあり、1980年代初頭には、薬物犯罪者としてカリフォルニア州立刑務所で服役しました。

2003年には、日比谷野音等で催されたジャパン・ブルース・カーニバル出演のために来日したにもかかわらず、過去のコカイン不法所持による逮捕歴が問題とされ、入国許可が下りずに帰国しました。但し、問題とされた逮捕歴は1989年のことであり、1994年の来日公演は問題なく行われていることからも、疑問の残る措置だったと言わざるを得ません。2003年の来日公演は、アイク抜きのキングス・オブ・リズムがステージに立ち、切り抜けています。アイク・ターナーは、1991年、アイク&ティナ・ターナー名義でロックの殿堂入りを果たしています。2007年12月12日、アイクはカリフォルニア州サンディエゴ郊外サンマーコスの自宅で、76歳で亡くなります。死因は公表されていません。
           
January......独りの人生、一度の人生。大切に今日を過ごす。
February.....譲ればお互いが楽であり押しのければお互いが苦となる。
March........道徳をもって教育すれば人は自然に服する。教育に吉。
April........一銭を笑う物は一銭に泣く。金銭小なりといえども悔るべからず。
May..........情事を満たせば色欲も失わせる。男女の関係に智恵をもて。
June.........忍耐によって希望が達成される。忍んで吉を得る。
July.........辛抱強く待っていれば幸運の女神はやってくる。
August.......火は親しんでもなれてはいかず、水は愛しても溺れてはいかぬ。人事交友もかくの如し。
September....天の道も人の道も極まれば元へ返るもの。窮すれば通ず。
October......多忙な日々である。物事着々と進まず、色情に悩み易し。
November.....根が地中で固く連なっている。さしたる困難にくじけぬ。
December.....摑んだと思えば逃げていく、放したと思えば来る。人生の妙。     
松山千春

1975年にかぐや姫、1976年にグレープと抒情派フォークのトップグループが相次いで解散、ソロに転向するが時を同じくして北海道から登場してきた新星が松山千春でした。ニューミュージックの台頭もあり下火になり、アンダーグラウンドに潜り始めた関西フォーク勢や、サウンド的に路線変更するフォーク系アーティストが増えます。フォークは日本的情緒に訴えかける軟弱な音楽という見方が定着しはじめていた中で、松山の登場は衝撃的でありました。

彼は北海道足寄町出身。岡林信康や加川良、下田逸郎らに強い影響を受け、1975年には「全国フォーク音楽祭」北海道大会に出場。落選こそしますが、STVラジオのディレクター竹田健二氏に見出されます。1976年には同曲の「サンデージャンボスペシャル」に「千春のひとりうた」コーナーを与えられます。ここで松山は毎週新曲を書いてギター弾き語りで発表することになります。「旅立ち」「足寄より」「かざぐるま」など初期の代表作は、最初にこのコーナーで発表されています。この番組により北海道での松山の知名度が上がってゆきます。1977年1月25日「旅立ち」でレコードデビューを果たした半年後の8月に竹田氏が急逝。失意の中、1977年10月には「オールナイトニッポン」水曜2部のパーソナリティに起用され、全国区への足がかりをつかみます。1978年「季節の中で」がチャート1位の大ヒットを記録します。スケールの大きな作風と堂々とした歌い方、抒情派フォークにありがちな日本的湿度感をかんじさせない音楽性は、フォークの新たな展開を予感させました。

この頃、フォーク嫌いで知られたタモリでさえ「千春は別」とラジオで語っていたほどです。同じ水曜オールナイトの関係者ということもあったとは思われます。松山はこの時期のフォーク勢でも別格の大物感がありました。同年「雨の嵐山」で登場する長淵剛は南の果ての鹿児島からやってきたフォークシンガーでした。松山の大陸的な抒情性と長渕の情緒的な作風の中に潜む武骨さは1970年代後半ならではの新たなフォークの在り方と言えます。以降も「長い夜」「大空と大地の中で」「恋」などがヒットします。メロウなラブソングやAORサウンドなどを展開しつつも、フォークシンガーとしてブレることなく第1線で活躍しています。

「君のために作った歌」
キャニオン
F-LABEL
1977年

かざぐるま
大空と大地の中で
旅立ち
オホーツクの海
君のために作った歌
足寄より
銀の雨
この道より道廻り道
ためらい
今日限り
初恋
おやすみ


「こんな夜は」
キャニオン
F-LABEL
1978年

雨あがりの街
南風にのせて
私を見つめて
走れ夜汽車
こんな夜は
君が好きさ
貴方だけ
帰ろう
君はそばに
父さん



「空を飛ぶ鳥のように野を駆ける風のように」
キャニオン
F-LABEL
1979年


酔っています
かわいい女はかわいいままで
おいで僕のそばに
失くした心
卒業
帰郷
あたい
空を飛ぶ鳥のように野を駆ける風のように
生きがい


「時代をこえて」
キャニオン
NEWS
1981年


この部屋
とだえた言葉
ダーリン
時代をこえて
浜辺
夢をのせて

限りある命
星をかぞえて

日本のフォーク完全読本より
町内の春祭りでの準備風景です。
毎年、花みこしを組み立てます。



近所の枝垂れ桜が満開を迎えました。
妖艶さを醸しだしています



1966年、国分寺市立第三中学校の栗原清志はバンドを結成します。栗原清志はのちに忌野清志郎です。彼は同級生2人と「ザ・クローバー」を結成します。その同級生は小林和生、桶田賢一です。後に彼らは林小和生、破廉ケンチを名乗ります。その後、バンドは解散・結成を繰り返し最終はRCサクセションを結成。

 

ボーカル・アコギの忌野清志郎。ウッドベース・コーラスの林小和生。アコギ・コーラスの破廉ケンチのカレッジフォークスタイル。演奏スタイルは凄まじい歌がフォークという枠を逸脱してゆきます。その編成は段々フリーキーなものとなってゆきます。

 

1969年、TBSヤング720のオーディションに合格。続いて東芝主催の「カレッジポップスコンサート」で3位入賞。ここのライブ音源はオムニバス盤に収録されます。1970年には「宝くじは買わない」でシングルデビューします。渋谷、青森を中心にライブ活動を続けます。

 

1972年、3枚目のシングル「僕の好きな先生」がヒットします。これは都立日野高校時代の忌野の恩師を歌った曲です。さらにファーストアルバム「初期のRCサクセション」をリリース。本人たちはこのアルバム内容に不満を抱きます。1972年のセカンド「楽しい夕に」でよりバンド本来の記録となります。「僕の好きな先生」に続くヒットは出ませんでした。レコード会社、所属プロダクションから冷遇されることとなります。がバンドは不満、ルサン千万をライブで新曲として発表し続けます。

 

アコースティックサウンドからエレキへの移行は1973年からでした。同年、忌野には多額の印税が支払われました。それは井上陽水のアルバムの共作曲の収録があったからです。その後はレコードは出ず、ライブ動員も減ってゆきます。数年間の暗黒期を経て2枚のアルバムの録音をはじめます。事務所には内緒で録音を始め1976年に発表します。タイトルはアルバム「シングル・マン」、シングル「スローバラード」。大ブレイクに至るにはまだ数年を要しました。

 

 

「楽しい夕に」

東芝/エキスプレス

1972

 

ラーラーラララ

エミちゃんおめでとう

忙しすぎたから

あの娘の悪い噂

九月になったのに

ねむい

もっとおちついて

君もおいで

去年の今頃

日隅くんの自転車のうしろに乗りなよ

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ

 

 

「悲しいことばっかり」

ユニバーサルミュージック

2013

 

黄色いお月さま

ぼくの情婦

愛してくれるなら

マイホーム

弱い僕だから

ぼくとあの娘

あそび

かなしいことばっかり

ぼくの家の前の道を今朝も小学生が通います

もしも僕が偉くなったら

仕事なので

わるいディレクター

ベイビーもう泣かないで

九月になったのに

お墓

ガラクタ

君にさようなら

ベルおいで

一日

夢を見た

マリコ

 

日本のフォーク完全読本より

【永遠のジャズ名盤】

 

 

グレンミラー・バイリクエスト・ベスト20

RCA

BMCビクター

D23D-47020

 

ビッグバンド時代には数多くのバンドが成功を収めます。白人バンドもコマーシャルな成功を収めます。その筆頭としてグレンミラー楽団が挙げられます。ミラーが送り出したヒット曲は5年半で120曲を越えます。1939年の「ムーンライトセレナーデ」から194412月彼の死までです。この期間に限って言えば他を圧倒しています。このアルバムには同楽団のヒット曲がズラリ並んでいます。ミラー、ジェリー、ビル・フィネガンらの名アレンジが光ります。又彼らのアレンジは理屈抜きに楽しめます。ボーカル曲も交えてミラー楽団の魅力がたっぷり味わえます。

 

 

ムーンライト・セレナーデ

チャタヌーガ・チュー・チュー

スター・ダスト

ヴォルガの舟歌

真珠の首飾り

タキシード・ジャンクション

ダニー・ボーイ

サンライズ・セレナーデ

ペンシルバニア 6-5000

セレナーデ・イン・ブルー

イン・ザ・ムード

茶色の小瓶

ジョンソン・ラグ

カラマズー

アメリカン・パトロール

セントルイス・ブルース・マーチ

二人の木陰

サン・ヴァレー・ジャンプ

アンヴィル・コーラス

ジューク・ボックス・サタデイ・ナイト

 

(Jazz Evergreen Collection 1920s-1940sより)

 

今月は新しい年度の始まりで、学校や会社などが新たに始まる時期ですね。
新たな気持ちで頑張るのは良いコトですが、頑張り過ぎ、空回りなどには注意したいですね。

January

孔子は急速に走る車に乗らなかったと。危険に近づかぬたとえ。        
 
February
運不運は天よりの運命。不運に向かう勇気で開運。
 
March
一輪の明月四海の上にある。上長者の助けあり順運。              
 
April
仁は寿、黙は寿、拙は寿。この理を知りて代吉祥。
 
May
今日を臨終日と思えば一切が有難くなる。
 
June
威張るな、焦るな、調子に乗るな。非凡な心に吉神来迎。
 
July
得意な時に失意あるを知って用心して妙運。         
 
August
人との交わりは少々の脱線は許すべし。他人を厳格に処せぬように。
 
September
人生は荒波に浮きつ沈みつする。達観して事を善処せよ。
 
October
葉は落ちる、草は枯れる。やがて時が来れば草も葉も萌え出づる。    
 
November
毒蛇悪獣が襲い来る夢を見る。本日新しく事を起こさぬが良い。何事も控えめに。
 
December
雲いたずらに去来する意あって物事離散し易し、ご用心

戦前生まれ blues musician

 

「アルバート・アモンズ」

Albert Ammons

1907 - 1949

 

シカゴ生まれ。1920年代からのクラブで演奏を始めます。生活のためタクシーの運転手もしていました。そこで親友のミード・ラクス・ルイスに出会います。同じアパートにはブギウギ・ピアノの大先輩パイントップ・スミスがいました。彼とセッションを重ね、腕を磨きあったといいます。

 

自身のバンドを結成して1936年デッカに代表曲「ブギウギ・ストンプ」を初録音。翌々年カーネギー・ホールのコンサートに出演します。

”フロム・スピリチュアル・トゥ・スウィング”というコンサートでした。ミード・ラクスやピート・ジョンスンと共に出演し、名声を高めました。その後はジャズマンたちと交流を深めてゆきます。一方、シッピー・ウォレスのバックなども務めました。ちなみにテナー・サックスのジーン・アモンズは彼の息子です。